良質な情報とは?
毎日健康に気を遣う人は多いに違いない。
体に良いとされる食べ物やバランスのとれた食事を意識し病気にならないようにと気を遣う。
毎日カップラーメンや塩分の高い食品、高カロリーな偏った食事はいずれ生活習慣病になり脳梗塞や心臓病のリスクが高まることは皆が知るところである。
しかし「情報」についてはどうだろうか?あまり考えていないのではないだろうか?
何となくバラエティ番組を見て、何となく今話題のニュースをチェックする。
赤ちゃんが母親の言葉を自然と理解ししゃべれるようになるのも教えているわけではなく話しかけられたり飛交う会話だったりで理解したり真似していつの間にか日本語をマスターしてしまう。
それと同じように何かを習得したいのであれば、その情報にアンテナを伸ばしふれあっているうちに、日本語をいつの間にかマスターしたかのように習得しマスターしてしまうものではないだろうか。
だとするならば、今見ているテレビ番組やネットの情報がその人自身を作り上げることとになり、今食べたり飲んだりしているモノが肉や血となってカラダを作り上げてゆくがように、今の情報や行動が未来の自分を作り上げることになる。
良質な情報とは何か?
事件や事故のニュースは何もしなくても耳に入ってくる。どこかで殺人事件がどこかで死亡事故が、北朝鮮や国際情勢が不安や暗い気持ちにさせる情報ばかりが溢れかえっている。
考え方によってはそれは心に悪い食べ物ばかり毎日食べていることになるのではないだろうか?
それとは逆に生きる勇気が湧いてくる。または将来幸せにしてくれる情報が良質な情報だと考えられる。
若者の自殺率の高さ
若者の死因1位が自殺という衝撃的事実で先進国の中でも突出して高い値を示している。
少子高齢化が進む原因はテレビによる情報が大きいのではないだろうか?朝のから夕方までワイドショーという名の話題のゴシップネタやニュースを繰り返し流し、しかも内容はほぼ同じで、食べ物で言えば完全に偏った食事で病気になってもおかしくない状態だ。
成功者の情報
成功者という定義は人それぞれであるが、経済的な成功者の情報源はビジネス関連や投資などのお金について敏感にアンテナをはっていることは確かだ。ただ定期預金にしまっておくようなことはしない、リスクを分散しながら株や不動産投資をしている。
資本主義社会においての成功者は資本を持っている者が称えられる。現代において小さくても資本を持つことが最優先されなければならない。
テレビの情報では資本は作れない
将来の不安を占める大半がお金である。しかし垂れ流しされるテレビ番組でお金について触れることはまずない。いや、むしろ彼らはお金を消費して欲しい側でありCMというスポンサー企業の意向として番組が構成されてゆく。
流行のファッション、美味しそうなラーメン、うまそうに飲むビールそんな映像が繰り返しながされれば美味しいラーメンが食べてみたい、ビールが飲みたいという衝動に駆られるのが人というものだ。
24時間の中で
人は8時間の睡眠で人生の3分の1は寝ていることになる、3分の2の時間で何をするか?どんな情報を得るかによって変わってくる。3分の2(約16時間)の内でも自由に使える時間はわりと少ない仕事や学校はもちろん、生きるための食事お風呂、出勤準備、美容院や買物などあっという間に1日が終ってゆく。
その残り少ない時間にドラマを見たりバラエティ番組を見ている。そして消費に走らせる。
資本を作るには
資本の作り方は凄く単純だ、収入から支出を引いて残ったお金を貯めて定期預金にすればわずかながらの金利がもらえる。立派な資本家である。しかし今の低金利では物価上昇率2%をカバーできずに目減りしてゆくことになる。
簡単にはお金でお金を増やせない
給料以外にお金を増やす情報はさほど多くはない、例えそれが1円であったとしても。よくアンテナを立てなければお金でお金を増やすやり方はそうそう転がっていない。
簡単に見つけられる株やFXという道もあるがそこには大きなリスクとタイミングがあってのこと、こと日経平均株価が2万円越えているタイミングでは高値づかみのリスクも大きい。また単位も高く分散して買うことも難しい。
良質な情報を求めて
毎日ネットサーフィンをしていて思うのだ、ネットの情報は玉石混淆でいい情報ほど表には出てこない。10年以上ネットの中を這い回っても身になった情報は10本あるかないかじゃないだろうか?
探し方が悪いのか毎日チェックしているサイト群が悪いのか?改めて良質な情報はどこにあるのか?もしかしたら今まで偏った悪い食べ物ばかり食べてきたんじゃないだろうかと考え直す今日この頃…
テレビで騒がれている情報がそのままネットのトレンドとして注目を集めアクセス数ランキングの上位に表示される。そんなサイトばかりをブックマークとして登録されているのである。
これが良質な情報と言えるのだろうか?
人生を変えたい
「人生を変えたい」
そう思っている人は多いに違いない。しかし今の生活の延長線にそれがあるのだろうか?
今やっている事が3年後、10年後人生を変えることに繋がってゆくのだろうか?
行動の第一歩
行動するまえに情報を集める。その情報は多ければ多いほど良い。ヒマラヤに登るのにとりあえず歩き出そうと行動を起こしてもほぼ100%失敗に終る。
多くの情報を集め、体験談を聞き低い山をから徐々に高い山に挑戦し小さな成功の積み重ねから最終的にヒマラヤに挑戦してみようって判断する。行動とはそういうものだろう。
最後に
自分自身がいまの現状でいいのだろうかという自問自答から始まったブログ記事。
その答えは多分自分がよく知っている。小さな行動をして小さな失敗しているそこに迷いや戸惑いを感じ変えなくてはという思いである。
何かを得るためには何かを捨てなければならない。それを天秤にかけて判断してゆく作業だ。
その為には多くの情報が欲しい、その情報の中に何かヒントはないのかということと、今の情報には満足したものがないという自己不満だ。
自分の得たい情報がネットで拾えなくなったという煮詰まり感は、前に見たり聞いたりしてすでに得ている情報や経験ばかりだろう、その上の壁を越えたいと思いが芽生え始めている。
だから新たな「良質な情報」を求め始めた。
たとえば孫悟空がサイヤ人からスーパーサイヤ人に変身するときに危機感や強い怒りの感情から変化してゆくようなものかもしれないのだ。
そう考えれば「良質な情報」を求めだした意義は大きい。