ちょっとだけ幸せにする意識をもつ
このブログテーマはズバリ「成功者の習慣」そこには自分も成功者になりたい思いが込められているんだけど、どうもそれは一方的な自己満の世界になりがちで何とも天狗的存在の文章になってしまっているのではないかという考えも最近感じてきたこと。
そこで、やっぱし読む側にとっての気持ち的根底に流れるテーマを意識しつつこれからのブログをつづっていこうかなと思う。
それはズバリ
読んだ人が
「ちょっとだけ幸せな気分になれるブログ」
今すぐそんなブログを書いてみろっていうのは難しいんだけど、そういう意識だけは持っていたいなと思う。
ネット書き込みでは
個人的にはヤフコメしたり掲示板に書き込んだりTwitterするときもあるんだけど、そういう時の書き込みって不満や批判が多いほぼ8割がたそう。他の書き込みもやっぱし対して変わらない。
だからブログぐらいが読み手が幸せな気分になる内容にしたいと突然そう感じだしたわけです。
テーマ
4~5日前から1日1回はコメント、スター、ブックマークへの書き込み、読者になるも取り入れようと小さく始めてみたんだけど、なかなかその気になるものが見つからないんですよね~
そこで見つける時のテーマをちょっと絞ることに「自分が将来幸せになれるヒント」みたいな感じで記事のタイトルとブログのタイトルを手掛かりに新規エントリー、注目エントリーなどを覗いてみるとやっぱし興味をそそりそうなのはかなり少ないんです。
それって自分のブログにも言えるのかなと思い、これからのブログの根底に流れるテーマは「読んだ人がちょっとだけ幸せな気分になれるブログ」を目指そうかなと漠然と思ったわけです。
(そんなことができるのかどうかは正直自信がないですが…)
幸せって?
何となく幸せなんて漠然としていて良くわからない、そんな時の為のGoogle先生です。辞書には「運がよいこと。幸運。幸福。」とあります。
幸せに考えてみるとわりと今の生活も平穏無事で落ち着いて、こうやってブログを書いていることは幸せな事に違いないのです。
ある人にとっての幸せはお金!
ある人にとっては家庭!
ある人にとっては結婚!
それに美味しい物を食べる時、お風呂、寝る瞬間も幸せを感じる一時もあるし…
幸せの定義は幅があって何だかつかみどころがない。
でもまぁ小さな幸せの積み重ねが大きな幸せにつながってゆくのかもしれないですね。
ヘレン・ケラーの名言に
「幸福の扉の1つが閉じる時は、別の1つが開きます。けれど私たちは閉じたほうばかりながめていて、こちらに向かって開かれているもう1つの方に気付かないことが多いのです。」
不幸に嘆き悲しんでいる片方で、違う幸福を手に入れているのかもしれません。
星野 富弘の名言に
「辛いという字がある。もう少しで、幸せになれそうな字である」
確かに似ている、ツライのその先にシアワセがあるのかもしれない。
金八先生の名言に
「幸せになろうと思わないで下さい 幸せをつかみに行って幸せをつかんだ人は1人もいません 幸せは感じるものです。」
なるほど、だから見つからないのかな?幸せは見つけるのではなく、感じるものかぁ…
まとめ
1年後、3年後、10年後にちょっとだけ幸せになるにはどうすればいいのか?同じように幸せ=成功と解釈すれば考え方とちょって明確化する気がします。
個人的には当面の幸せはやっぱし「お金」それがテーマ。
その為の株やFXも始めました。それでちょっぴり幸せになれたかというと、まっていたのが大きな損失でしたけどねwまぁ今では10年後に大きく花開けばいいぐらいな気持ちでやっています。
お金の次のテーマも決まっています。
最近イケダハヤトさんのブログもちょくちょく見るんですが、いいですよねイケダハヤトさんは東京から田舎に引っ越したんですが、自分は逆ですよ。
田舎から繁華街に行きたいんですw。決して東京に行きたいわけではないんですが、もうちょっとにぎやかな街に行きたいんです。ささやかでしょw
うちの田舎じゃファミレスやファーストフードもないド田舎、幸いスーパーがあるのだけは唯一の救いですけどw
まぁ人それぞれ幸せの形なんて違うのかなって思うわけですがそんな幸せも、基本やっぱしお金であるわけですよ。
だから、ネットで求める情報が「お金」に関することばかり、これが解決しなければ次の段階へは進めません。美味しい実がなるには数年の年月がかかりそうですが。今よりはちょっぴり幸せになるように動きたいと思います。