「お金持ちになる人」と「ならない人」何が違うのか?
「将来が不安だ」「貯金しなくっちゃ」「節約しよう」お金の不安は尽きない。
そう自分もお金に対して不安で仕方がない一人である。そしてお金持ちになりたいと日々願っている。
出版されている「お金持ちになる方法」「金持ち父さん、貧乏父さん」など多くの書籍が立ち並び時には手に取り、時には購入し今にいたってもお金の不安は消えていないのはなぜだろうか?
そしてこれだけ多くの本がある中で「お金持ちになる人」と「ならない人」の違いは何なのだろうか?
貯金と節約の先にあるもの
人は言う、貯金しなさいと…
お年玉は何に使いますか?と言う問いに「貯金します」という答えが返ってくる。
多くの節約本にテレビの特集が組まれテクニックが披露される。
学校や社会ではお金について教えてくれることはない。就職し給料を貰うことだけを前提とした教育が組まれている。良い大学をでて、一流企業や公務員を目指すのが一番いいとされる。
その為に、高い給料をもらいその収入の範囲内で生活し節約して貯金をすることがすでにあたりまえになっている。
ニュースでは老後資金は2000万とか3000万は必要だとか不安をかき立て貯金と節約はとどまることはない。
いったいどこまで節約させ貯金させるのだろうか?その先にある豊かな生活はいつになったら訪れるのだろうか?
お金は川の流れと同じ
お金はスーパーやコンビニなどでレジを経由し、銀行へ、銀行から仕入れや従業員の給料など分配され、その渡された給料の中からスーパーやコンビニなどで使われる。
これと同じように、小さな水の流れが寄り集まって大きな川になり、海に流れ込み蒸発し、また雨となって降り注ぐ循環だ。
水は常にそこに存在しているし、お金も常に近くに存在している。
川にいっぱい水が流れているのにそれを貯金しよう節約しようとは思わない。むしろ、その川から水を引き、溜めて田んぼにし稲を植えコメを作りをした。
それは紀元前から永延と続けられてきた文化であり人間が飢えることなく栄えてきた源になった。
水がお金であるとしたならば、お金を貯めることで何かを育て上げそれを循環させなければ意味がないことになる。貯金のその先にあるモノのヒントが見えてくる。
小さな田んぼと仕組づくり
紀元前から行なわれてきた稲作。しかし、ど素人が1から始めようとしたらかなり大変なことは想像できる。耕作放棄地が広がっているにもかかわらず農地法により田んぼを手に入れるのでさえこの日本では大変なことだからだ。
しかし、一度それを乗り越えノウハウを手に入れてしまえば毎年のお米が手に入るようになり、自分で食べたり、過剰分を売ったりできる。
稲作作りは機械化され田植えと稲刈りシーズンだけ忙しいがそれ以外は1日あくせく働かなくてもいい生産性の高い仕事だ。
その田んぼを広くすることでより多くの収入を増やすことも可能でもある(法的な規制や補助金など農業に関わる複雑な利害によりいろいろややこしい側面もある)
お金持ちになる一歩
世の中見渡してみたら、稲作みたいなようなもの。田んぼの代わりにコンビニにしたり駐車場にしたりアパートやマンションを建てることで収益が得られる。
資本主義社会で一番強いのは、資本を多く持っていること。それはお金でも土地でも同じ。小さな資産(貯金)でもそれを定期預金にすればわずかながらでもお金を産んでくれる。その定期を株に投資すればより大きなお金を産む。
働かない生き方
この社会は働くことを前提にした仕組にしているため、働かなければお金は得られないと思い込んでいる。「仕事しろ」「この穀潰し」「怠け者」とののしられニート引きこもりとレッテルを貼る。
実はお金持ちほどあくせく働かない、いや働く必要がない。収入の仕組を作ってしまっているからだ。定期的に家賃収入、定期的に配当や金利、定期的に役員報酬。
存在給
多くの人は時間給や能力給といったように、何かをやったり時間を切売りするコトで収入を得ているしその方法しか思いつかない。
世の中には存在給というのがあるのをご存じか。
大物テレビタレントの高額なギャラに驚くことはありませんか?その人はただ、そこにいるだけで高額な収入を得ています。
日々流されるCMも1回収録したらそれで終了何千万というギャラが支払われる。
辻希美のブログ報酬は月500万円を超えているそうだ。ブログの内容は料理や育児の写真、家族や友達との日常といったごく普通の日記。
名の知らない一般人が同じような写真をアップしてもほぼ0円。まったくブログからの収入は発生しません。
存在給を獲る方法は、多くの人に知ってもらいファンになってもらうしかない。しかしそれもまた、もの凄く大変なことはブログをやっていて痛いほどわかっている。
極端なことをいえばネット社会は一極集中型で1位以外は無いも同じ。
「お金持ちになる人」と「ならない人」何が違うのか?
カイジの地下王国でもらったペリカをビールや焼き鳥に替えてしまうシーン。どんなに働いても搾取されてしまう世の中が映しだされている。そんな地下で病気になり高額な薬も買えずにひたすら衰弱してゆく人々。
今の世の中とカイジの地下帝国は当たらずとも遠からずだ。
一方、一握りの成功者が君臨し巨万の富を得て贅沢をしている。
カイジが我慢だ節約だと心の葛藤をしているが。今の社会もやっぱし節約だ貯金だと葛藤する。地下社会のルールや環境のままでは豊かな生活は夢のまた夢だと感じるのはスクリーンで見ている者でさえもわかるが、こと現実社会では感じにくい、しかし構造は同じだ。
どんなに小さくても自動でお金が入ってくる打出の小槌を持つ必要がある。資本を持つ側と持たぬ側。それはお金持ちになる人とならない人の差だ。